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御年貢諸役・古文書
享保20年 (1735)
天明02年 (1782)1
天明02年 (1782)2
天明05年 (1785)
天明09年 (1789)
寛政04年 (1792)
寛政09年 (1797)
寛政12年 (1800)1
寛政12年 (1800)2
文化05年 (1808)
文化07年 (1810)
文化12年 (1815x)
文化14年 (1817)
文政01年 (1818)
文政07年 (1824)
文政08年 (1825)
文政09年 (1826)
文政12年 (1829)
天保04年 (1833)
天保11年 (1840)
天保15年 (1844)
弘化02年 (1845x)
弘化03年 (1846)
嘉永01年 (1848)
嘉永04年 (1851)
嘉永06年 (1853)1
嘉永06年 (1853)2
文久02年 (1862)1
文久02年 (1862)2
文久02年 (1862)3
文久03年 (1863)
慶応03年 (1867)
明治03年 (1870)
明治06年 (1873)
明治09年 (1876)
明治10年 (1877)

・甲州郡内領地内-江戸時代〜明治初期の佐藤家文書です。


 寛永10年(1633年) 2月 3日、秋元但馬守泰朝3千石加増され、上州総社から甲州郡内領(1万8千石)に 入封。 宝永元年12月(1704年)、秋元但馬守喬朝が5万石で武蔵国川越へ転封となる。

宝永元年12月、川越より柳沢吉保が甲府に入封、宝永3年7月都留郡は柳沢氏の預かり地となる。(宝永元年12月から宝永3年7月までは都留郡は幕府直轄の御料所となり谷村に代官所が置かれた)

正徳3年(1713年)、宝永3年より柳沢氏に預けられていた都留郡はふたたび直轄の代官支配となる。

享保9年(1724年)柳沢吉里が大和郡山へ転封。柳沢氏大和郡山転封により、甲斐国は幕府直轄領として代官支配となる。明治までつづく。

 代官所は勘定奉行の支配下にあり代官のもとに、手附・手代が置かれ、陣屋勤務と江戸詰めの役がある。

政治は公事方(訴訟など)と地方(年貢取り立てなど)・書役(庶務会計)の役職が置かれた。

 村役の務めは、輪番か入札により選ばれた名主の家が村役所となり、組頭・百姓代の村方三役(三判)が納税(年貢)等の義務を行い村を治めた。